2009年01月28日

時代背景@

 1月12日に成人式があった。この成人の方々が生まれた時代は、バブルの真っ只中で経済の豊かさを堪能していた時代だった。ジュリアナ東京やメッシー(食事をおごってくれる彼)、アッシー(家まで送ってくれる彼)等の女性が男性を都合よく選ぶ現象や、就職活動では企業からの内定がいくつももらえ、誰もが就職できる時代でもあった。そのためか、就職もせずに夢を追い求めフリーターになる若者も出現した。20歳代でこの時代を謳歌した若者が私の年代だということだ。

 では、次に私たちが育った時代を説明しておきたい。


<豊かな時代の始まり>

1945年 終戦・敗戦
 ↓
1947 〜 1950年 第一次ベビーブーム
 ↓
1950年代 三種の神器 (白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)
 ↓
1955年 日本経済は戦前の水準に復興
 ↓
1955 〜 1973年 日本経済は飛躍的に成長
 ↓
1970年代 新三種の神器 (カラーテレビ・クーラー・自家用車)

終戦・敗戦で貧困を味わった日本人が、物質的な豊かさにより、
人間としての幸せを感じる時代であった。30代後半から40代の大人は、この物質的な豊かさの中で、不自由なく生活をしていくことになった。

(副代表 岡安)

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2008年11月17日

思いやることの難しさ

 最近マイブームで、細い道ですれ違う自転車に道を譲ることをあえてしている。単に譲るだけでは面白くないので、道を譲られた際に会釈や、お礼を言っていく人がどれだけいるかを数えてみた。たいした数ではないが24人の人に道を譲ってみた。@高校生が8人、A20代〜30代と思われる人が7人、B子どもを連れたお母さんが4人、C40代以降の方が5人だった。年代については聞いた訳ではないので、正確さに欠ける部分はある。ほとんどの人は当然のように自転車で通っていった。@では男性が多かったせいもあるが、全ての人が会釈やお礼を言わずに、また私を見ることなく通り過ぎていった。Aの場合は女性が2人会釈をしてくれた。Bでは子どもを乗せている方に気持ちがいっているのか会釈やお礼はなかった。Cの40代以降の方は3人が会釈なりお礼を言った。自転車を運転している人達は、避けてくれた人のお陰でもって自分がすんなりと通れたことに気づいていない。もしかしたら自分の運転技術に酔いしれているのかもしれない。この順調な運転を邪魔されたとすれば不機嫌になったり、時には歩行者に対して文句を言ったりするのだろうと思う。人間は物事を都合よく解釈する生き物らしく、歩行者の立場になると自転車や自動車を邪魔に思い、自転車に乗れば歩行者や自動車を邪魔に思う。また自動車に乗れば人や自転車にイライラしてしまう。立場が変われば感じ方が異なり、自分がそれぞれの立場でいやな思いをしたことを思い出せず、常に置かれたその立場でしか物事を考えられないのかもしれない。

 そう言えば、大学時代の生物学の講義を思い出した。その内容とは南方熊楠が発見した粘菌の話しで、粘菌は環境が安定している時にはバラバラに生きているが、環境悪化(寒さ等)が起こるとお互いが寄り添い、小さいキノコ状となり生き残ろうとする。この事から現代の日本人社会を見てみると、経済的に豊かになり個人主義が闊歩する社会では、利害関係にある者、特に自分より上の立場にある者への心遣いや配慮はあっても、見ず知らずの者には思いやりが欠けてしまう。これまでの日本人が大切にしてきた他者への思いやりや配慮を、「袖触れあうも他生の縁」のような感覚を大切にしていくべきだと思う。

(副代表 岡安)
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2008年09月11日

手本を示せる人であれ

 公共広告機構のコマーシャルだったか、子どもが出てきて「お母さんは悪口を言うなっていうのに、悪口を言っているのはよくない」といった内容だった。教えることの中で、何よりも大切なことは、手本という実行力なのだと思う。口数を多く指示ばかりするのではなく、生き方や考え方を姿勢や態度で示すことだと言える。それが人育ての原点であるように思う。

 イギリスの著述家スマイルズの『自助論』に、「手本とは、無言でわれわれを教え導く名教師だ。・・・実際に人間を導くものには、もの言わぬ無数の手本であり、生活を取り巻く現実的な模範なのだ」とある。

 現代社会において私を含め、大人は子どもに対しどれだけの手本を示しているのだろうか。口先ばかりの、上辺教育になっていないことを祈る。

(副代表 岡安)
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2008年09月04日

進みつつある者

ドイツの師範学校の教師ディスター・ヴェークは、教師のあり方として「自らが学びそれを自分のものにした分だけ、人は人を教えることができる」と述べている。これは教師のみならず、様々な教育活動に携わっている全ての人に言える。

 
簡単に言えば「学びを忘れない人」と言い換えることが出来るだろう。学び続けるとは“探究心”を忘れないということであり、自ら築いた立場にあぐらをかかないということだ。そう考える時に、なんと残酷で辛い茨の道なのだろうと考えてしまう。そして自分はこの道を、歩み続けることが出来るのだろいうかと不安になる。

 
ただし、学び続けるとは狭義に意味ではなく、“生きる”といった広義の意味で捉えるべきだ。生きることの意味や死の意味、美しいものを感じ、時には広大な宇宙に思いを馳せるのも学びであり、それを自分に人生観に反映させることが重要なのかもしれない。

 
近年、テクニック的な学びや、上手に今を乗り切る知識が尊重されてしまう状況にあるが、再度真の学びのプロセスを考える必要があるように思う。

(副代表 岡安)

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2008年07月22日

迷から明へ

 長らく「おもい書き」を放置し申し訳ありません。今回はまず、7年間働いた児童養護施設へ寄稿した文章をアップしようと思います。児童養護施設の一職員が学んだことを伝えられたらと思います。


 「あ〜また夜がくる」こんな思いから、私の宿直の仕事が始まる。就職当時の施設は、二週間もしないうちにグループの宿直をしなければならなかった。

 ある日のこと、部屋で夜中だというのに大騒ぎが始まった。意を決して注意に入ると、天井にはフォークやナイフが突き刺さり、消化器で壁を叩いて楽しんでいる姿があった。彼らは私の顔を見ても悪びれる様子もなく、どちらかといえば当然といった雰囲気だった。怒りがこみ上げてきて、刺さっているフォークを投げ捨て、職を辞する覚悟で彼らに言葉を発した。話の内容は怒りに満ちた言葉に始まり、いつの間にか自分のこれまでの人生について語っていた。話を聞いていた彼らは、当初は私に対して敵意をむき出しにしていた態度が、いつの間にかテーブルに座って話を聞いていた。彼は納得をして部屋の片付けを私と一緒にし始めた。その時、一人の児童が「こんな話をもっと早く聞きたかった。その話を皆にしてやってな」と言った。

 それ以降、私は自分をかくさず本音を語ることに努めてきた。7年間の児童養護施設での生活で、特に資質が向上したとは思えないが、ただこの部分だけは真剣に取り組んだと振り返って思う。


(副代表 岡安)

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2007年09月27日

歪んでいる関係

※ 今回の文章は、前回の文章の続きとして、書かせていただきます。もし、お読みになっていない場合、前回の文章をご確認のうえ、お読みください。


■指導を受けて

 私が担当していた児童の中には、お金を渡すとすぐに使ってしまったり、時にそのお金で施設を出て行ったりする子がいました。お金のやり取りは、児童との大切なやり取りの一つです。これは、私たち自身も同じことで、親とお小遣いの事でやりあった経験があるはずです。

 
施設に監査が入った時のことです。監査の方が児童のお小遣いの管理はどうしているかを尋ねてきました。私は素直に、一部は園を出た時のために貯金をし、残りは使い道を聞いて妥当であるならお小遣いを出しますと答えた。すると、監査の方がこう私に言ったのを今でも忘れません。

 
「お小遣いは都が児童自身に渡しているもので、勝手に職員がお金の使い道を決めてはいけない。使い方は児童が決めるのであって、職員は口出ししてはいけない。児童の権利に反する行為である」と、こんな歪んだ権利の解釈があるでしょうか?

 
お金の使い方は、小さい頃から家庭教育の一環として、しっかり教えなくてはいけないことで、ただお金を与えて勝手に使わせればいいというのは、大人が児童の養育を放棄したのと同じだと思います。私は法律家ではないので、法律的には問題なくても、人間を育成する観点から考えるとこれは放棄としてしか考えられません。皆さんはどのような感想をお持ちになりましたか?監査の方に賛成の方もいるでしょうし、また私の意見に賛成される方もいるでしょう。どちらにしても、全体での議論が必要なのかもしれません。


■「キレ」させないように


 児童の対応については、それぞれの施設によって多少異なりますが、私の施設では、会話で以て行うことが基本でした。会話といえば聞こえはいいのですが、児童の気持ちに配慮すると共に、「キレ」るといった行為が起こらないように注意して対応することが重要となります。児童が「キレ」てしまうと職員の力不足ということになりかねません。

 
ここで問題になるのは、児童に配慮することや、傷ついた心を理解することは専門職として求められるのは当然なのですが、その状況が過度になってしまい児童に率直に意見を述べられない状況になっていることがあります。児童は大人以上に環境を敏感に察します。当初、施設に来た児童は大人が思った以上に聞き分けがいいのを逆手に取り、好きなことを言い出すケースがあります。

 こんな発言をすると、臨床心理士や他の職員さんから非難される可能性もありますが、あえて私はこう述べたいのです。確かに人間不信(大人)に陥っている児童を温かくケアし、職員との愛着関係を結ぶことは大切なことです。実際に対話と不断のない愛情を以て、多くの児童が巣立っていることも事実です。しかし、施設を自分の都合良く使用し、職員を職員としてみなさない態度を取る児童もいるのです。その児童にどの様な理由があれ、伝えなければならないことは、しっかりと伝えることが出来るシステム作りが必要だと考えます。変に大人がこびている現状があることも事実なのです。子どもの権利と虐待からくるケアのあり方によって、大人が本当に伝えなくてはいけないことを躊躇するようではいけないと考えます。


(副代表 岡安)

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2007年09月19日

大人になる権利の保証

 今回の内容は、受け取られ方によっては、非難をかってしまう内容かもしれません。ただ、現状の体制に肯定的な方が多いことも承知で、あえてアンチ的な表現をさせて頂ければと思います。現在も大変な状況で働いている仲間と、その組織にいるがために表現出来ない事を、少しでも私が代弁できたらという思いで、今回のテーマを上げさせてもらいました。

 
児童養護施設職員としての7年間の体験は、私に貴重な経験を与えてくれました。今回のテーマである「大人になる権利」もその1つと言えます。

 
「子どもの権利条約」を日本が批准したのは1994年で、今から13年前になります。ユニセフでこの条約が発表されたのが1989年で、5年後の批准は遅いとも言われました。内容としては、4つの柱からなり、「生きる権利」、「育つ権利」、「守られる権利」、「参加する権利」になります。詳しくはホームページ等で「子どもの権利条約」で検索してみて下さい。

 
批准を受けて行政は動き始めます。そして、児童養護施設の子どもにも協力してもらい、「子ども権利ノート」が作成されました。確か、私が施設職員2年目の時に、施設の子ども達に配布され、その内容を読み上げて説明した記憶があります(1998年頃)。それからというもの、施設では子どもが直訴できる意見箱の設置や、その直訴を検討するための施設職員の体制整備、様々な問題を客観的に判断してもらうための第3者委員会の設立、直接的には関係しませんが間接的に関わりがある施設のサービス評価等が次から次へと行われました。

 
今から15年以上前の児童養護施設では、体罰ではないにしても時に強引な手法で子ども達を指導していた事は確かで、それは養護技術の未発達と職員の情熱や思いで対応していたためだと言えます。そこから思い返せば改めることは当然だと私も考えます。ただし、現状は子どもにビクつく大人の姿が問題だと思うのです。

 
「子ども権利条約」批准以降は、子どもの権利保障のために様々な整備が行われてきました。このことを否定するつもりはありません。ただ、大人が優位にたって処遇(支援)していたのが、現在は子どもが優位にたった処遇(支援)になっています。この逆転から大きな問題が生まれてきています。数年前に他の施設を卒園した人と話をしていた時に、自分の施設について語ってくれました。それは、久しぶりに卒園した施設を訪問してみると、子ども達があまりにもわがまま放題で、なぜもっと厳しく対応しないのだろうという内容でした。その人は、自分が今の施設ではなくて本当によかったとも言っていました。それは、甘えだけで厳しさが無いために、自立が出来なかったかもしれないという事でした。1人の意見で全てを計る訳にはいきませんが、大切な事が含まれているように思います。

 次回は
、これに関する事例を上げてみたいと思います。個人情報の関係上どこの出来事なのか、だれが行ったことかは申し上げられません。また、事実に近い形で表現しますが、全てを事実として申し上げることは出来ないので、あらかじめご了承下さい。

(副代表 岡安)
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2007年07月26日

時代は繰り返すのか? −児童養護をめぐる問題−

 ひさしぶりの「おもい書き」で大変に申し訳ありません。ようやく、夏休みになり少し余裕ができたので、また書いてみたいと思います。

 
夏は子どもも大人も躍動的になるシーズンです。私は夏が大好きで、お祭りや盆踊りといった様々なイベントや海に行くのは最高です。しかし、私は楽しい夏以外にもう1つ思い浮かべることがあります。それは、原爆投下から終戦に至る夏です。  日本は当初、短期的な戦争を想定し、作戦を立案し開戦をしましたが、実際は長期間に渡るものでした。また戦線は拡大する一方で、各地に派兵したために物資がいき渡らなくなった日本軍は、人を武器にし、精神論を頼みの綱として戦争を続けました。しかし、科学力や物量に勝るアメリカに結局は負けることになります。

 
「なんだ、戦争の話で資質向上の話とは関係ないじゃないか。」と思われた方がいたかもしれませんが、これが大ありなのです。最近、用事があって児童養護施設の友達と話す機会がありました。児童福祉法が改善されたと言っても、まだまだ改善するべき点はたくさんあります。その中で、改善を急がれるのが私は職員の待遇であると思います。児童養護施設職員は常に資質向上といわれています。確かに個人の資質を向上させていく必要はあります。しかし、人育てるということは一朝一夕でできるわけではありません。じっくりとじっくりと時間をかけて行われるものです。そして、向上させるための精神的なゆとりと時間や研修体制が整っている必要があります。

 
私が施設職員だった頃は30時間位(仮眠あり)の勤務でした。勤務内容としては、前日の午後1時から勤務をし、翌日の午後1時に上がるのが基本でした。しかし、1時で上がれるのはまれで、それから午後5時位までは勤務をしていました。この勤務をして家へ帰るとフラフラで布団に倒れて寝てしまう有様でした。翌日に仮に休みがあったとしても、出るのがおっくうなのと翌日にはあの勤務をすると考えると、1日ゆっくりしたいと考え、なかなか出かけてリフレッシュするには至りませんでした。それが、たまたま施設の友人に会って話をしたところ、現在は50時間あまりの勤務が普通になってきているとのことでした。50時間勤務とは2連泊をするという意味です。仕事をやっていく、悪く言えばこなすのがやっとでプライベートもままならぬ状況で、資質向上がはたしてできるのでしょうか?児童養護施設職員の平均勤続年数は良いところで7〜8年、悪いところでは3〜4年が実際です。資質向上をする前に燃えつきてしまうのが現状なのです。

 
現代社会において個人の資質向上や自己責任を柱にして、現状を乗り切ろうとするのは精神論で突き進んでいた当時の日本と同じように感じます。しかし、科学的にアセスメントをしっかり行い、社会制度を整えた上で個人の資質や責任を問題にしていかなければ、社会全体が疲弊していくように思います。決して人回作戦的な社会であってはいけないと痛切に感じます。

(副代表 岡安)
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2007年06月16日

ある統計から

 先日、NHKで職場を辞めていく若者のことを特集していました。平成3年の調査では会社入社3年以内で約23%の離職率だったのが、平成15年の調査では36%の割合に上り、会社では若者が離職しないよう、様々な手段をとっているという内容でした。離職の理由としては、キャリアアップもあるが、会社内の人間関係がうまくいかず辞めるケースが増えているとのことでした。

 
この数字を見て愕然としてしまいました。確かに自分の合わない会社に嫌気がさし、まして人間関係に問題があれば、当然のように辞めたいと思うのは当然の成り行きだと思います。それは、今も昔も変わらないことで、だからこそ「石の上にも3年」などという、諺があるのだと思います。人間の歴史は種が生まれて以来、適応と知恵に支えられて生き延びてきたと言えるでしょう。これは、この先も人間が生きていく限り変わらないでしょう。

 
最近、教え子2人と話す機会がありました。1人はコミュニケーション・スキルを教える会社に勤めていて、もう1人はPSW(精神保健福祉士)をしていました。はじめの教え子からは、コミュニケーション・スキルを獲得するために、大学を卒業して2〜3年目の人が多く来るそうです。この会社が500名にアンケートを取ったところ、90%以上の方が会社や他の場所での人間関係に悩み、駆け込み寺のように来る方が多いということを聞かされました。また、これは大学時代まで自分の世界(テレビ、ゲーム、パソコン、携帯電話、携帯オーディオ等)に浸り、嫌いな人間や好きではない人間と関わらずに来たのが原因であろうと言っていました。

 
PSWの教え子からは、統計に基づくものではないと前置きし、経験及び体験、仲間同士の意見交換から判断する話をしてくれた。それは精神症の多くが表れるのが20代の前半で、社会的に適応が難しくなる年齢とのことだった。もともと性格上で特質があったとしても、学校へ通っている時期等は保護者の監督下にあります。そのために、それなりにカバーしてもらえて、逃げ帰る場所が確保できています。また、学生時代は苦手な相手とは距離を置いて生活することができます。しかし、社会に出た途端に人間関係が一変し、苦手な相手でも関わることを迫られ、保護者のカバーも及ぶところではなくなります。そうすると、発症を引き起こすことになるとのことでした。なんとかごまかして来たのが、20代になり自分で人間関係の構築をする段になると、関係が結べなくなり発症するのだろうとのことでした。

 NHKの特集にしろ、教え子の両者の話にしろ、子育ての山場は20代前半にくるのだと思いました。そして、若者が一般社会へ出て行くのに、ハードルが高くなっているのではないか。いや、ハードルが高くなっているのか、跳ぶ若者の足腰が弱いのか、私が結論を出せる状況にはありません。ただ、子ども達が社会に適応できなければ、保護者や他の大人に負担がかかってくることは確かでしょう。そうならないためにも、数多くの良質な体験とそこから導きだされる豊かな経験、そして、時に我慢などを学べる場を創出していく必要があると考えます。

(副代表 岡安)
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2007年06月10日

他尊心を考える。

 自尊心を前回書かせてもらいましたので、今回は他尊心について考えてみたいと思います。
 
自分を尊いと思う気持ちが育てば、そこから他者を尊ぶ気持ちも育つと私は考えています。ただし、「自尊心=他尊心」ではなく、自尊心が土台となって築き上げるものと思っています。そのために、築き上げるための方法が必要となります。
 
では、他尊心をいかに育てるかということですが、私は心理学者でも臨床心理士でもないので、専門家的な立場というより、社会教育現場や児童養護施設現場、あるいはキャンプ・リーダー等の体験や経験から学びとった、実践家としての立場から述べさせていただきたいと思います。
 
現代社会は他者を尊重するための、社会的なシステムが破綻している状況だと私は考えています。例えは、良いことではありませんが、困窮状況の時には、自ずから生きる目的や価値観は定まってきます。それは、第二次世界大戦争が終結した日本で、全ての国民が貧しい状況にありました。その時代、まずは貧しさから脱却しようと全ての国民が考え、弱い者であれば力を合わせて生活をしました。私の家の近くにも、昭和長屋が小学生の頃まであり、それこそ長屋の生活をしている方々がいました。
 
しかし、経済的に物質的に恵まれるようになると、生きる目的や価値観が変化し、多様になりました。現在では、その限度を超え「価値の多様」ではなく、「価値の暴走」になってしまったと私は思います。「勝ち組」などの言葉にも、他者に対する敬意が伺われるどころか、その不在を感じてしまいます。この様な状況にあって、子どもが他者を尊ぶ気持ちが育つのでしょうか、私の答えは「NO!」です。
 
では、真剣に他尊心を少しでも育てたいと思うならば、同じ目的に向かい協力し合い、互いを大切だと思える環境を整える必要があります。手前みそですがその環境を与えられる手段として、キャンプが挙げられると私は確信しています。

 
キャンプには様々な優れたところがたくさんあり、その幾つかを紹介します。

○ 日常生活から離れ、非日常生活を送ることにより、新しい自分を発見することができる(「新しい自分の発見」)
○ 生活の中で目標や目的を設定しても、テレビやゲーム等のさまざま な誘惑があり、1つのことを継続し深く考えることができません。しかし、キャンプではさまざまな誘惑が無く、1つのことを深く考える時間があります(「思考の深化」)
○ 家から遠く離れたキャンプ場の生活では、時に忍耐や我慢といったことを強いられます。しかし、現代社会の子ども達になかなか教えられないこのことを、自然と学ぶことができます(「忍耐・我慢の育成」)
○ キャンプで初めて知り合った友達と、会話し、仲良くしていかなければキャンプ生活は辛いものになります。自分のコミュニケーション能力を最大限に発揮する必要があります。この際にキャンプ・リーダーが子どもの力量を測りアシストするのは当然です(「コミュニケーション能力の育成」)等です。

 
是非、一度はキャンプに参加してみて下さい。少しだけ人生が豊かになることと思います。

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