2007年09月27日

歪んでいる関係

※ 今回の文章は、前回の文章の続きとして、書かせていただきます。もし、お読みになっていない場合、前回の文章をご確認のうえ、お読みください。


■指導を受けて

 私が担当していた児童の中には、お金を渡すとすぐに使ってしまったり、時にそのお金で施設を出て行ったりする子がいました。お金のやり取りは、児童との大切なやり取りの一つです。これは、私たち自身も同じことで、親とお小遣いの事でやりあった経験があるはずです。

 
施設に監査が入った時のことです。監査の方が児童のお小遣いの管理はどうしているかを尋ねてきました。私は素直に、一部は園を出た時のために貯金をし、残りは使い道を聞いて妥当であるならお小遣いを出しますと答えた。すると、監査の方がこう私に言ったのを今でも忘れません。

 
「お小遣いは都が児童自身に渡しているもので、勝手に職員がお金の使い道を決めてはいけない。使い方は児童が決めるのであって、職員は口出ししてはいけない。児童の権利に反する行為である」と、こんな歪んだ権利の解釈があるでしょうか?

 
お金の使い方は、小さい頃から家庭教育の一環として、しっかり教えなくてはいけないことで、ただお金を与えて勝手に使わせればいいというのは、大人が児童の養育を放棄したのと同じだと思います。私は法律家ではないので、法律的には問題なくても、人間を育成する観点から考えるとこれは放棄としてしか考えられません。皆さんはどのような感想をお持ちになりましたか?監査の方に賛成の方もいるでしょうし、また私の意見に賛成される方もいるでしょう。どちらにしても、全体での議論が必要なのかもしれません。


■「キレ」させないように


 児童の対応については、それぞれの施設によって多少異なりますが、私の施設では、会話で以て行うことが基本でした。会話といえば聞こえはいいのですが、児童の気持ちに配慮すると共に、「キレ」るといった行為が起こらないように注意して対応することが重要となります。児童が「キレ」てしまうと職員の力不足ということになりかねません。

 
ここで問題になるのは、児童に配慮することや、傷ついた心を理解することは専門職として求められるのは当然なのですが、その状況が過度になってしまい児童に率直に意見を述べられない状況になっていることがあります。児童は大人以上に環境を敏感に察します。当初、施設に来た児童は大人が思った以上に聞き分けがいいのを逆手に取り、好きなことを言い出すケースがあります。

 こんな発言をすると、臨床心理士や他の職員さんから非難される可能性もありますが、あえて私はこう述べたいのです。確かに人間不信(大人)に陥っている児童を温かくケアし、職員との愛着関係を結ぶことは大切なことです。実際に対話と不断のない愛情を以て、多くの児童が巣立っていることも事実です。しかし、施設を自分の都合良く使用し、職員を職員としてみなさない態度を取る児童もいるのです。その児童にどの様な理由があれ、伝えなければならないことは、しっかりと伝えることが出来るシステム作りが必要だと考えます。変に大人がこびている現状があることも事実なのです。子どもの権利と虐待からくるケアのあり方によって、大人が本当に伝えなくてはいけないことを躊躇するようではいけないと考えます。


(副代表 岡安)

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2007年09月19日

大人になる権利の保証

 今回の内容は、受け取られ方によっては、非難をかってしまう内容かもしれません。ただ、現状の体制に肯定的な方が多いことも承知で、あえてアンチ的な表現をさせて頂ければと思います。現在も大変な状況で働いている仲間と、その組織にいるがために表現出来ない事を、少しでも私が代弁できたらという思いで、今回のテーマを上げさせてもらいました。

 
児童養護施設職員としての7年間の体験は、私に貴重な経験を与えてくれました。今回のテーマである「大人になる権利」もその1つと言えます。

 
「子どもの権利条約」を日本が批准したのは1994年で、今から13年前になります。ユニセフでこの条約が発表されたのが1989年で、5年後の批准は遅いとも言われました。内容としては、4つの柱からなり、「生きる権利」、「育つ権利」、「守られる権利」、「参加する権利」になります。詳しくはホームページ等で「子どもの権利条約」で検索してみて下さい。

 
批准を受けて行政は動き始めます。そして、児童養護施設の子どもにも協力してもらい、「子ども権利ノート」が作成されました。確か、私が施設職員2年目の時に、施設の子ども達に配布され、その内容を読み上げて説明した記憶があります(1998年頃)。それからというもの、施設では子どもが直訴できる意見箱の設置や、その直訴を検討するための施設職員の体制整備、様々な問題を客観的に判断してもらうための第3者委員会の設立、直接的には関係しませんが間接的に関わりがある施設のサービス評価等が次から次へと行われました。

 
今から15年以上前の児童養護施設では、体罰ではないにしても時に強引な手法で子ども達を指導していた事は確かで、それは養護技術の未発達と職員の情熱や思いで対応していたためだと言えます。そこから思い返せば改めることは当然だと私も考えます。ただし、現状は子どもにビクつく大人の姿が問題だと思うのです。

 
「子ども権利条約」批准以降は、子どもの権利保障のために様々な整備が行われてきました。このことを否定するつもりはありません。ただ、大人が優位にたって処遇(支援)していたのが、現在は子どもが優位にたった処遇(支援)になっています。この逆転から大きな問題が生まれてきています。数年前に他の施設を卒園した人と話をしていた時に、自分の施設について語ってくれました。それは、久しぶりに卒園した施設を訪問してみると、子ども達があまりにもわがまま放題で、なぜもっと厳しく対応しないのだろうという内容でした。その人は、自分が今の施設ではなくて本当によかったとも言っていました。それは、甘えだけで厳しさが無いために、自立が出来なかったかもしれないという事でした。1人の意見で全てを計る訳にはいきませんが、大切な事が含まれているように思います。

 次回は
、これに関する事例を上げてみたいと思います。個人情報の関係上どこの出来事なのか、だれが行ったことかは申し上げられません。また、事実に近い形で表現しますが、全てを事実として申し上げることは出来ないので、あらかじめご了承下さい。

(副代表 岡安)
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2007年07月26日

時代は繰り返すのか? −児童養護をめぐる問題−

 ひさしぶりの「おもい書き」で大変に申し訳ありません。ようやく、夏休みになり少し余裕ができたので、また書いてみたいと思います。

 
夏は子どもも大人も躍動的になるシーズンです。私は夏が大好きで、お祭りや盆踊りといった様々なイベントや海に行くのは最高です。しかし、私は楽しい夏以外にもう1つ思い浮かべることがあります。それは、原爆投下から終戦に至る夏です。  日本は当初、短期的な戦争を想定し、作戦を立案し開戦をしましたが、実際は長期間に渡るものでした。また戦線は拡大する一方で、各地に派兵したために物資がいき渡らなくなった日本軍は、人を武器にし、精神論を頼みの綱として戦争を続けました。しかし、科学力や物量に勝るアメリカに結局は負けることになります。

 
「なんだ、戦争の話で資質向上の話とは関係ないじゃないか。」と思われた方がいたかもしれませんが、これが大ありなのです。最近、用事があって児童養護施設の友達と話す機会がありました。児童福祉法が改善されたと言っても、まだまだ改善するべき点はたくさんあります。その中で、改善を急がれるのが私は職員の待遇であると思います。児童養護施設職員は常に資質向上といわれています。確かに個人の資質を向上させていく必要はあります。しかし、人育てるということは一朝一夕でできるわけではありません。じっくりとじっくりと時間をかけて行われるものです。そして、向上させるための精神的なゆとりと時間や研修体制が整っている必要があります。

 
私が施設職員だった頃は30時間位(仮眠あり)の勤務でした。勤務内容としては、前日の午後1時から勤務をし、翌日の午後1時に上がるのが基本でした。しかし、1時で上がれるのはまれで、それから午後5時位までは勤務をしていました。この勤務をして家へ帰るとフラフラで布団に倒れて寝てしまう有様でした。翌日に仮に休みがあったとしても、出るのがおっくうなのと翌日にはあの勤務をすると考えると、1日ゆっくりしたいと考え、なかなか出かけてリフレッシュするには至りませんでした。それが、たまたま施設の友人に会って話をしたところ、現在は50時間あまりの勤務が普通になってきているとのことでした。50時間勤務とは2連泊をするという意味です。仕事をやっていく、悪く言えばこなすのがやっとでプライベートもままならぬ状況で、資質向上がはたしてできるのでしょうか?児童養護施設職員の平均勤続年数は良いところで7〜8年、悪いところでは3〜4年が実際です。資質向上をする前に燃えつきてしまうのが現状なのです。

 
現代社会において個人の資質向上や自己責任を柱にして、現状を乗り切ろうとするのは精神論で突き進んでいた当時の日本と同じように感じます。しかし、科学的にアセスメントをしっかり行い、社会制度を整えた上で個人の資質や責任を問題にしていかなければ、社会全体が疲弊していくように思います。決して人回作戦的な社会であってはいけないと痛切に感じます。

(副代表 岡安)
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2007年06月16日

ある統計から

 先日、NHKで職場を辞めていく若者のことを特集していました。平成3年の調査では会社入社3年以内で約23%の離職率だったのが、平成15年の調査では36%の割合に上り、会社では若者が離職しないよう、様々な手段をとっているという内容でした。離職の理由としては、キャリアアップもあるが、会社内の人間関係がうまくいかず辞めるケースが増えているとのことでした。

 
この数字を見て愕然としてしまいました。確かに自分の合わない会社に嫌気がさし、まして人間関係に問題があれば、当然のように辞めたいと思うのは当然の成り行きだと思います。それは、今も昔も変わらないことで、だからこそ「石の上にも3年」などという、諺があるのだと思います。人間の歴史は種が生まれて以来、適応と知恵に支えられて生き延びてきたと言えるでしょう。これは、この先も人間が生きていく限り変わらないでしょう。

 
最近、教え子2人と話す機会がありました。1人はコミュニケーション・スキルを教える会社に勤めていて、もう1人はPSW(精神保健福祉士)をしていました。はじめの教え子からは、コミュニケーション・スキルを獲得するために、大学を卒業して2〜3年目の人が多く来るそうです。この会社が500名にアンケートを取ったところ、90%以上の方が会社や他の場所での人間関係に悩み、駆け込み寺のように来る方が多いということを聞かされました。また、これは大学時代まで自分の世界(テレビ、ゲーム、パソコン、携帯電話、携帯オーディオ等)に浸り、嫌いな人間や好きではない人間と関わらずに来たのが原因であろうと言っていました。

 
PSWの教え子からは、統計に基づくものではないと前置きし、経験及び体験、仲間同士の意見交換から判断する話をしてくれた。それは精神症の多くが表れるのが20代の前半で、社会的に適応が難しくなる年齢とのことだった。もともと性格上で特質があったとしても、学校へ通っている時期等は保護者の監督下にあります。そのために、それなりにカバーしてもらえて、逃げ帰る場所が確保できています。また、学生時代は苦手な相手とは距離を置いて生活することができます。しかし、社会に出た途端に人間関係が一変し、苦手な相手でも関わることを迫られ、保護者のカバーも及ぶところではなくなります。そうすると、発症を引き起こすことになるとのことでした。なんとかごまかして来たのが、20代になり自分で人間関係の構築をする段になると、関係が結べなくなり発症するのだろうとのことでした。

 NHKの特集にしろ、教え子の両者の話にしろ、子育ての山場は20代前半にくるのだと思いました。そして、若者が一般社会へ出て行くのに、ハードルが高くなっているのではないか。いや、ハードルが高くなっているのか、跳ぶ若者の足腰が弱いのか、私が結論を出せる状況にはありません。ただ、子ども達が社会に適応できなければ、保護者や他の大人に負担がかかってくることは確かでしょう。そうならないためにも、数多くの良質な体験とそこから導きだされる豊かな経験、そして、時に我慢などを学べる場を創出していく必要があると考えます。

(副代表 岡安)
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2007年06月10日

他尊心を考える。

 自尊心を前回書かせてもらいましたので、今回は他尊心について考えてみたいと思います。
 
自分を尊いと思う気持ちが育てば、そこから他者を尊ぶ気持ちも育つと私は考えています。ただし、「自尊心=他尊心」ではなく、自尊心が土台となって築き上げるものと思っています。そのために、築き上げるための方法が必要となります。
 
では、他尊心をいかに育てるかということですが、私は心理学者でも臨床心理士でもないので、専門家的な立場というより、社会教育現場や児童養護施設現場、あるいはキャンプ・リーダー等の体験や経験から学びとった、実践家としての立場から述べさせていただきたいと思います。
 
現代社会は他者を尊重するための、社会的なシステムが破綻している状況だと私は考えています。例えは、良いことではありませんが、困窮状況の時には、自ずから生きる目的や価値観は定まってきます。それは、第二次世界大戦争が終結した日本で、全ての国民が貧しい状況にありました。その時代、まずは貧しさから脱却しようと全ての国民が考え、弱い者であれば力を合わせて生活をしました。私の家の近くにも、昭和長屋が小学生の頃まであり、それこそ長屋の生活をしている方々がいました。
 
しかし、経済的に物質的に恵まれるようになると、生きる目的や価値観が変化し、多様になりました。現在では、その限度を超え「価値の多様」ではなく、「価値の暴走」になってしまったと私は思います。「勝ち組」などの言葉にも、他者に対する敬意が伺われるどころか、その不在を感じてしまいます。この様な状況にあって、子どもが他者を尊ぶ気持ちが育つのでしょうか、私の答えは「NO!」です。
 
では、真剣に他尊心を少しでも育てたいと思うならば、同じ目的に向かい協力し合い、互いを大切だと思える環境を整える必要があります。手前みそですがその環境を与えられる手段として、キャンプが挙げられると私は確信しています。

 
キャンプには様々な優れたところがたくさんあり、その幾つかを紹介します。

○ 日常生活から離れ、非日常生活を送ることにより、新しい自分を発見することができる(「新しい自分の発見」)
○ 生活の中で目標や目的を設定しても、テレビやゲーム等のさまざま な誘惑があり、1つのことを継続し深く考えることができません。しかし、キャンプではさまざまな誘惑が無く、1つのことを深く考える時間があります(「思考の深化」)
○ 家から遠く離れたキャンプ場の生活では、時に忍耐や我慢といったことを強いられます。しかし、現代社会の子ども達になかなか教えられないこのことを、自然と学ぶことができます(「忍耐・我慢の育成」)
○ キャンプで初めて知り合った友達と、会話し、仲良くしていかなければキャンプ生活は辛いものになります。自分のコミュニケーション能力を最大限に発揮する必要があります。この際にキャンプ・リーダーが子どもの力量を測りアシストするのは当然です(「コミュニケーション能力の育成」)等です。

 
是非、一度はキャンプに参加してみて下さい。少しだけ人生が豊かになることと思います。

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2007年06月02日

自尊心について

■ 自尊心とは

 キャンプについては、また後ほどいろいろと伝えていければと思い、ここでは少し子どものことについて少し述べてみたいと思います。
 子どものことを述べると言いながら、ここではまず、私たち大人のことを語らなければならないでしょう。なぜなら、言い古された言葉ですが、「子どもは大人の鏡」だからです。現在、大人の社会は異常な状況にあると言えます。子どもに対する虐待の増加、さまざまな殺人事件や事故、子どものことを語る以上に、私たち大人が真剣に自らを振り返り、考えなくてはいけないと私は感じています。では、何をどの様に振り返ればいいのでしょうか、その振り返りをするために、重要となるポイントが自尊心だと私は考えます。
 自尊心を辞書でひくと、「自分の人格を尊び、誇りをもって卑屈にならないこと」と載っています。では、私たち大人はしっかり自分の人格を把握しているでしょうか。人格を把握していたとして、その人格を尊んでいるのでしょうか。誇りを持ち、卑屈に生きてはいないでしょうか。私たち大人は自尊心を育てて来れたのでしょうか。こんな問いを聞いて耳が痛くなるのは、私だけなのでしょうか。 
 

■ 自尊心獲得の困難な道のり

 私はこの自尊心に、私なりの解釈をもたせたいと思っています。それは、自分が尊い存在と思える基礎は、何と言っても家庭にあるということです。人は生まれてすぐに自分を尊いなどと、お釈迦さんでもなければ考えないでしょう。では、どう学び取るのかと言えば、家庭の中で愛されて育つうちに、少しずつ子どもは自分の存在意義や存在価値を学び、結果的に自尊心の確立につながるのだと考えます。それは、単に溺愛すればいいというわけではありません。
 ここで問題が発生します。それは、仮に自尊心をもてない大人がいたとして、その大人が子どもと接するとしたらどうなるでしょう。妬みやひがみを子どもにぶつけてしまったら、その子どもはどう育つのでしょうか。また、愛されずに育つ子どもは、自分の自尊心を獲得することができるのでしょうか。自分の存在意義や存在価値に気づけず、自分を誇れない子どもは苦しみを抱えて生きることになります。

自尊心についいて述べてきたので、ここで興味深い調査結果を報告しておきます。ユニセフが経済協力開発機構(OECD)加盟国のうち25カ国について、各種指標を比較しました。その中で子どもの意識に関する項目の中で「孤独を感じる」と答えた日本の15歳の割合は29.8%で、二位のアイスランド(10.3%)以下、フランス(6.4%)や英国(5.4%)などに比べて飛び抜けて高かったのです。孤独を感じると答えたワーストワンの国は、なんと先進国を自負し、物質的な豊かさを誇る我が日本だったのです。結果から30%近く(およそ3人に1人の割合)の子ども達が孤独と感じています。1位と2位の差がなぜこんなにひらきがあるのでしょうか?友達関係の問題もあるでしょうが、見本となる大人の不在こそが問題であるように思います。これは、全ての大人に向けられたメッセージとして、紳士に受け止める必要があると感じます。くどいですが、全ての大人がもう一度自分を見直す、そんな時代になっているのかもしれません。

(副代表 岡安)

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2007年05月26日

キャンプ・リーダー体験から多くを学ぶ(その3)

Bプログラム・リーダー
 班付きリーダーが表の立役者であるなら、プログラム・リーダーはキャンプの影の立役者と言えます。キャンプ・リーダー組織を舞台でたとえるならば、班付きリーダーは役者で、プログラム・リーダーは役者を支える照明や大道具、衣装といった感じでしょう。班付きリーダーが安心して活動を行えるのは、このプログラム・リーダーの存在あってこそと言えます。
 
 ただ、私にも経験があるのですが、華やかに見える班付きリーダーに関心が向き、どうしてもプログラム・リーダーは敬遠されがちです。時に子どもと関わるのが苦手という人や、職人的なもの(キャンプ・ファイヤーやその他の企画で)を見出した人は、のめり込むことがあります。私が長年いろいろなキャンプに参加していて思うことは、真にキャンプの醍醐味を味わうには、プログラム・リーダーを何年か経験して、班付きリーダーを行うのがベストであるという事でした。
 
 福祉施設で班付きリーダーを1年して、大変に楽しかったので、翌年もキャンプ・リーダーの募集に手を上げました。その年は、集まるリーダーの数が少なく、キャンプ経験者をプログラム・リーダーにしたいと依頼がありました。班付きリーダーを希望した私としては、気が抜ける気持ちでした。キャンプが始まり、子ども達が楽しく班付きリーダーと関わっている姿を横目に、黙々と次のプログラムの準備をするのは何とも言えないものでした。ですが、裏方のプログラム・リーダーを大切にしてくれる体制があり、私は少しずつ考えを変えることができました。それは、あそこで楽しんでいる子どもの姿や班付きリーダーの笑顔は、決して班付きリーダーだけの努力ではなく、裏方の私たちがいてこその姿であると知ったのです。
 
 これまで多くのキャンプに参加しながら、このあたり前の事に気付かなかったことにとても恥ずかしさを感じます。そして、裏方であるプログラム・リーダーを経験できて本当によかったと思いました。それ以来、私は自分が華やかな立場を任された時には、その裏に誰かが支えてくれていると考えるようになりました。あの一夏のキャンプが教えてくれたことに感謝しています。
 
※組織キャンプについて
 キャンプと言えば、家族や友達で行うものがメジャーですが、ここで話題にしているキャンプとは、組織キャンプのことを言っています。組織キャンプとは、名前の通り組織されたキャンプのことです。組織形態はいろいろありますが、簡単に説明するなら、総責任者、ディレクター、マネージャー、班付きリーダー、プログラム・リーダー等で構成されるキャンプのことを指します。
 
※役割の名称
 役割の名称(「班つきリーダー」、「プログラムリーダー」)については、その当時のものを掲載しております。組織によって役割の種類や名称は異なります。


(副代表 岡安)

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2007年05月20日

キャンプ・リーダー体験から多くを学ぶ(その2)

A班付きリーダー
 
のっけから恋愛感情の話で申し訳ないと思います。なんと言ってもキャンプで楽しいのは班付きリーダーです。これをカウンセラーということもあります。キャンプ生活のなかでキャンパー(キャンプの参加者)と直接関わり、指導をすることができるのが、この班付きリーダーです。そのため、病み付きになってしまう人が多いのも事実です。私は経験上ですが、班付きリーダーは大学生以上の人が行うのがベストだと考えます。体力があり、それなりの知識を有し体験・経験がある方が、子どもにより多くのことを与えられるからです。また、突発的な状況に臨機応変に対応するためにも、若すぎる年齢の人が班付きリーダーをするのは、正直に言えば不安を覚えます。また後ほどこの事について触れたいと思います。

(副代表 岡安)
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2007年05月19日

キャンプ・リーダー体験から多くを学ぶ (その1)

■ キャンプ・リーダーを引き受ける

 野球のコーチを引き受けた後に、私はキャンプ・リーダー(様々な役割があります)をしてみないかと、やはり同じ施設の職員から誘われました。実は大学を退学後すぐに、友人からの誘いでカブ・スカウト(ボーイ・スカウトの小学生の部)の隊長を引き受けていたので、是非にと引き受けました。当時は私も若く、キャンプ・リーダーが楽しくなると、あっさりと責任感なく隊長を辞してしまいました。今から考えると、大変に申し訳ないことを隊員や、その他の方々に迷惑をかけたと思います。

  

■ キャンプから学べること
 
私は、この施設キャンプで多くの事を学んだと思います。班付きリーダーの醍醐味、キャンプ全体を支えるプログラム・リーダーの重要性、1週間キャンプで子どもと過ごすための技術や精神力、練られたプログラム内容、全体のチーム・ワークとそれを支えるコミュニケーションのあり方、指導者の寛容性等の多岐に渡るものでした。

@キャンプでの恋愛感情
 ここでなによりも学んだことは、キャンプ・リーダーに恋するキャンパーの対応でした。1週間も寝食を共にすれば、リーダーもキャンパーも恋心が起こるのは自然なことかもしれません。しかし、リーダーに恋するのは、あくまでキャンプという特殊状況のためであり、リーダーとキャンパーという立場からのもだから、素敵なリーダー像は像として、キャンパーの心に残しておくことが、真のリーダーだということでした。この考えは、私に以外にもすんなり入りました。しかし、多くのリーダーはこの考えを受け入れ、自分のものにとするにはそれなりの時間がかかります。それ以上に、この考えを受け入れがたいのが事実なのかもしれません。それは、私の経験上のことですが、多くのリーダーとキャンパー、あるいは立場の異なるリーダー同士が一夏の恋をしては、問題が起きていたのを思い出すからです。また、このような内容を教えている所は、どれだけあるのだろうかと思うのです。 

(副代表 岡安)

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2007年05月13日

酔いしれる自分に気づくことの大切さ

 前にも書いたように、子どもの指導で問題となるのは、専門的な技術や技能、それに、指導能力等がすぐに上げられます。しかし、最も大切なことを私たちは、忘れてしまいがちです。それは、難しく言えば自己の承認欲求を子どもという存在で満たそうとすることです。人は人に認めてもらうことが何より必要です。その承認欲求を得やすいのが、子どもとの関わりなのです。子どもは大人よりも、体験や経験の面では劣ります。それは当然のことであり、否定する人はいないでしょう。この多くの体験や経験から得たことを与える機会があれば、そう難しくなく容易に立場を確立することができるはずです。それは、大人の社会で立場を築き上げるより、容易に出来ると言えます。また、指導者が間違ったことをしても、子どもが相手であると、指導者の耳にその批判は届かないものです。そのために、指導者は自分の過ちに気づかずにいることが多くなります。特にボランティア活動の指導者の場合では、その状況が顕著にあらわれることがあります。

 私も案の定、酔いしれた時代がありました。それは、前回のコラムでも触れた通りです。具体的に上げるなら、私が所属していた野球では、練習後には必ず監督とコーチからのお話の時間がありました。ここでは、頑張った子どもを激励し、そうでない子どもにやる気の大切さを伝えます。ここの場で、気の利いた話をしてやろうと、様々な本を読みあさり、ネタとなりそうな話を書き留めては、子どもたちが練習で疲れていることも忘れて、とうとうと話をしたものです。今から考えてみると、子どもの時間を犠牲にし、自分が自分に酔っていたとに恥ずかしさを感じます。しかし、当時の私は大学を中退し、目的もあいまいとなった状況で、この時間は何よりも気持ちのよい時間であった事は、隠しようの無い事実だったのです。この独りよがりな、自己陶酔の時間に気づいたことは、気づかないよりもよかったと思いますが、やはり当時の子ども達には悪いことをしたと思います。

 さて、ここまで読んで頂いた「あなた」は、これを読んでいかなる感想をもったでしょうか。ボランティア活動をするからには、そこに生きがいがあるのは当たり前ですし、当然あってしかるべきだと思います。ですが、時に振り替えってほしいのです。辛い作業ですが、自分に問いかけてほしいのです。この「活動は自分のためなのか?」、それとも「子どものためなのか?」答えがどちらになろうと、問いかけ続けることが重要だと私は考えます。それは、かけがえの無い自分の時間を使っているからです。ですが、同様に子どものかけがえの無い時間も使っていることも忘れないで下さい。

(副代表 岡安)
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