年代については聞いた訳ではないので、正確さに欠ける部分はある。ほとんどの人は当然のように自転車で通っていった。@では男性が多かったせいもあるが、全ての人が会釈やお礼を言わずに、また私を見ることなく通り過ぎていった。Aの場合は女性が2人会釈をしてくれた。Bでは子どもを乗せている方に気持ちがいっているのか会釈やお礼はなかった。Cの40代以降の方は3人が会釈なりお礼を言った。
自転車を運転している人達は、避けてくれた人のお陰でもって自分がすんなりと通れたことに気づいていない。もしかしたら自分の運転技術に酔いしれているのかもしれない。この順調な運転を邪魔されたとすれば不機嫌になったり、時には歩行者に対して文句を言ったりするのだろうと思う。人間は物事を都合よく解釈する生き物らしく、歩行者の立場になると自転車や自動車を邪魔に思い、自転車に乗れば歩行者や自動車を邪魔に思う。また自動車に乗れば人や自転車にイライラしてしまう。立場が変われば感じ方が異なり、自分がそれぞれの立場でいやな思いをしたことを思い出せず、常に置かれたその立場でしか物事を考えられないのかもしれない。
そう言えば、大学時代の生物学の講義を思い出した。その内容とは南方熊楠が発見した粘菌の話しで、粘菌は環境が安定している時にはバラバラに生きているが、環境悪化(寒さ等)が起こるとお互いが寄り添い、小さいキノコ状となり生き残ろうとする。この事から現代の日本人社会を見てみると、経済的に豊かになり個人主義が闊歩する社会では、利害関係にある者、特に自分より上の立場にある者への心遣いや配慮はあっても、見ず知らずの者には思いやりが欠けてしまう。これまでの日本人が大切にしてきた他者への思いやりや配慮を、「袖触れあうも他生の縁」のような感覚を大切にしていくべ
きだと思う。
(副代表 岡安)
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