前にも書いたように、子どもの指導で問題となるのは、専門的な技術や技能、それに、指導能力等がすぐに上げられます。しかし、最も大切なことを私たちは、忘れてしまいがちです。それは、難しく言えば自己の承認欲求を子どもという存在で満たそうとすることです。人は人に認めてもらうことが何より必要です。その承認欲求を得やすいのが、子どもとの関わりなのです。子どもは大人よりも、体験や経験の面では劣ります。それは当然のことであり、否定する人はいないでしょう。この多くの体験や経験から得たことを与える機会があれば、そう難しくなく容易に立場を確立することができるはずです。それは、大人の社会で立場を築き上げるより、容易に出来ると言えます。また、指導者が間違ったことをしても、子どもが相手であると、指導者の耳にその批判は届かないものです。そのために、指導者は自分の過ちに気づかずにいることが多くなります。特にボランティア活動の指導者の場合では、その状況が顕著にあらわれることがあります。
私も案の定、酔いしれた時代がありました。それは、前回のコラムでも触れた通りです。具体的に上げるなら、私が所属していた野球では、練習後には必ず監督とコーチからのお話の時間がありました。ここでは、頑張った子どもを激励し、そうでない子どもにやる気の大切さを伝えます。ここの場で、気の利いた話をしてやろうと、様々な本を読みあさり、ネタとなりそうな話を書き留めては、子どもたちが練習で疲れていることも忘れて、とうとうと話をしたものです。今から考えてみると、子どもの時間を犠牲にし、自分が自分に酔っていたとに恥ずかしさを感じます。しかし、当時の私は大学を中退し、目的もあいまいとなった状況で、この時間は何よりも気持ちのよい時間であった事は、隠しようの無い事実だったのです。この独りよがりな、自己陶酔の時間に気づいたことは、気づかないよりもよかったと思いますが、やはり当時の子ども達には悪いことをしたと思います。
さて、ここまで読んで頂いた「あなた」は、これを読んでいかなる感想をもったでしょうか。ボランティア活動をするからには、そこに生きがいがあるのは当たり前ですし、当然あってしかるべきだと思います。ですが、時に振り替えってほしいのです。辛い作業ですが、自分に問いかけてほしいのです。この「活動は自分のためなのか?」、それとも「子どものためなのか?」答えがどちらになろうと、問いかけ続けることが重要だと私は考えます。それは、かけがえの無い自分の時間を使っているからです。ですが、同様に子どものかけがえの無い時間も使っていることも忘れないで下さい。
(副代表 岡安)
2007年05月13日
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私の担任の先生は生徒の意見を全く耳に入れず、少しでも自分と違う考えだとすぐ怒鳴ります。
怖いので誰も反論しようとはしないので完全に主権を握っている感じがします。
自分の考えだけで生きていくのは何も進歩しないように私は思います。他の意見も尊重して理解していくことが大切だとその先生から学びました。
コメントありがとうございます。人間はどんな状況であろうと、学びが必要です。その学びを自分のものとして、自分の更なる成長につなげて下さい。